一息つきたい心の休憩所

自分自身の心の吐き出し 休憩所のような場所にしたい

まだ社会復帰も出来ていない

 

会社との裁判(労働審判)までも動いていない

 

でも1つずつ

今自分にできる事を

今は何か資格を取ろうと思って去年から

MOSExcel Wordの勉強中

今月末にExcelは試験を受ける予定

毎日コツコツと勉強

それがこれから何に役立つかはまだ分からない

でも何もしないより

少しの可能性を増やしたくてもがいてる

時は進んでいる

知り合いの家に新年の挨拶行ってきました お婆さんが脳姑息の前兆があったと聞いてたから心配してたんだけど

 

家に着いてあけましておめでとうございますって挨拶したら 手を握って

 

「手が冷たいねぇ」「ありがと」って 少しお話して

もう会話をするって感じの事はできないんだけど

 

それでもちゃんと覚えてくれていて

 

その握ってくれた手はしっかりと力強くて、なんだかじんわりするような

 

子供の頃お使いで家にお邪魔した時は 「あら、いらっしゃいよく来たねー」と元気だった姿を思い出すと そうかぁもうあれから30年近く経っているんだよなぁ

 

年齢をご夫婦に聞くともう94になったと聞かされてそれにも驚き

いろいろ感慨深い

俺の周りにはこうして高齢でお世話になった人達が今も交流が出来ているけど

それと同時にいつも不安にもなる 1時間半程お邪魔して

帰り際に 「また来ますね今日は会えて良かった」ってお婆さんに声をかけたら

 

また手を握ってくれて 「また、きてね」って笑ってくれた

はい、かならず 来ますね 早く温かくなるといいですね お身体お大事にと言って帰ってきました

 

春頃にまた会えると良いな

自問自答

思考の整理整頓 雑多な文章 とにかくこの頭の中や心の中の物を自分なりに書き出す

 

丁度 元旦のタイミングやその日のあるきっかけで自分自身との過去やトラウマ、現在までの色んな気持ちが襲ってきて とてつもない虚しさに襲われた

多分この約5年間、現在進行形で辛いと思う事の連続だろう
当時の状況や環境、何か1歩を踏み出したくて行動に取ってみたものの悉く打ちのめされる日々
現在だってこのざまだ

 

生きるってしんどいな、、、この一言に尽きる

 

子供の頃から纏わりつく自分の中にある気持ちや身体的にも出てくる症状と付き合いながら、そして何とか社会という括りの中に飛び込む

 

ただただ言える事は運が良かったんだろうなぁ、、と
たまたまこの年まで生きてきたけど 本当にたまたま

 

試しに少し違う職種で働いた事もあるが
結局の所 人間関係という物が大きな壁になっていく状況ばかりだ、そこからなぜか妙な事ばかり起き どこの場所に行ってもサンドバッグ的なポジションになってしまう 

 

暴言も 物理的にも物は投げられ 机は叩かれ
丁度いい標的に見られがちなんだろうか

上げれば切りは無いが 仕事用のけん引き車で追いかけられて轢きかけられ運転していた人は笑っているという状況にも こっちが笑いたくなるもんだ

事実 自業自得でこうなっている部分だってあるんだろう、だからこそ周りから様々な言葉を言われても 言われている「言葉」は正論なんだ
言い返せない 何を言っても ただの言い訳になってしまう 

 

何が悔しいかってそんな自分が1番悔しい

 

貴方が弱かったから、決断も、行動力も無かったからでしょ?
何でそれを選んだの?
他にもあるでしょ?

 

本当に耳が痛いとはこういう事だ

その通りですしか出てこない

でも思い返してもその当時はとにかく必死で死に物狂いで食らいつかなきゃ

ここで何とか生き抜かなきゃという思考に引っ張られるし
周りの言う選択肢という物が分からないんだ

なんで分からないの?じゃなくて
本人は本当に分からないんだ

それでも不思議なもので しぶとく生きている

 

現在もこんな感じで日々が流れているが、傷つくたびに 

気づきと色んな想像する事が増えたとは思う

 

人の話を聞く事、伝えたいと思う最初の窓口は広めにしておきたい
それぞれが様々な生き方をしてきて 口頭だけで述べその人の気持ちを
捉える事が出来るのも、ごく僅かなのかもしれない

 

それは当たり前な事 実際に経験し感じてきた物はその1人の人生の1部なのだから

いとも簡単に なぜ出来ないの?
という言葉はもはやすべてを打ち消される

怖くて仕方がない

日常の中でも色んな事を思ってしまう

この人はどんな気持ちで今この言葉をチョイスして、この人に投げかけたんだろう?
自信があるのだろうか?俺には過信にしか見えないのだが

自信をつけて自分の殻を破る、、、、多分これは1歩踏み出すには必要な事

 

でも、過信や自己中心的は違う 前の自分は違うから 
もう相手の事は気にしなくても良いから自分の言いたい事だけ言えばいい 自分だけ楽しければいい 
相手の事は知った事は無い 

あくまでもこれは俺の捉え方なので それぞれの価値観もあるので正解不正解は無い

もし自分自身が自信をつけ殻を破り成長するという事を考えるとすると
傷ついた自分も、新しく吸収した物も色んな物もひっくるめて肉付けしていく感じだろうか 勿論抱えきれないもの 削ぎ落とさなければいけない部分もあるけれど 自分の芯はそのままで

分かっている事は傷つけられたから同じ事は相手にしたくない 
いたって単純な回答かもしれない 
同類になってしまう 陰湿な事はしたくない

当たり前だが苦手な人は苦手 好きな人は好き
聖人君子なんかじゃいられない

何をこの人は言っとるんだ?意味がわからん
どんな行動してるの? それが無かったら流石に人格だって形成されない

俺は俺なりの何かを抱えて進んでいく
それが人となりになっていくと信じて

出会ってこれも縁だし、なんとなく繋がってても悪くないよなって
そんなゆるい感じで 俺の存在は十分

前にも書いた通り

 

ここはブログという媒体という概念で長文を書かなくても言い訳で

 

いい意味で自由な空間でありたい

 

SNSでは横の繋がりが強すぎて発言に萎縮してしまう事もあるのではないだろうか?

 

あれ?

これを呟いたらどう思われるかな?嫌われるかな?って

いつの間にか気にしなくても良かった事が、どんどん窮屈になって不安になる

 

もっと肩の力を抜いて

距離感を掴みたい今日この頃