一息つきたい心の休憩所

自分自身の心の吐き出し 休憩所のような場所にしたい

丁度今日で2年です

2年、、 感覚としてはほんの少し前の出来事として続いている 毎晩のように事故る瞬間や入院してた時の事が夢に出てくるのも大きいんだろう、起きた瞬間に未だに病室と間違える時だってある しょうがないが まだまだこれもとも付き合っていかなければ

 

2年もあればもっと何か出来ないの? そう言ってくる人もいるし、思う人もいる なかなか上手くはいかない、その歯痒さを感じているのは俺自身 約3ヶ月間の閉鎖的な空間で様々な人達に支えられて何とか過ごしていたなぁとしみじみ思う 記録としてTwitterではなんとなーく呟いていた物にいいねが付く

 

多くリプを返しあったりはしなくても 遠くから見守ってくれているような感覚、その感謝は今でもこれからも変わらないんだろう 今は当たり前のようにリプをし合って、どんどん交流が広がっている事自体に慣れてしまっている事も当たり前ではない

 

この2年での間で出会いや別れも繰り返し きっかけがなければ出会えなかった人達 残念ながら入院している最中に別れがあった人達 帰ってきてからも同じように出会いと別れは繰り返す 去っていく人がいれば、新たな出会いもある それがそれぞれの旅路ってもんなんだろう

 

何度も言っている事、思い続けている事 細く長くの人間関係は心地よく 太く短くの人生でパッと散れるなら、今はそれがしっくりきている ここでこうやってウダウダと呟く めんどくせぇ奴 落ちて 立ち上がって 立ち止まっても ボロボロになってもそれでも何か知らんが生きてる

 

前進という事が前向きな考えとも 思ってない 考えの押しつけで落っこちたらどうするんだ 進めなくて、自分自身の内面とも向き合って 進む前の準備期間も必要な時もある 人と関わり会話し対話する時 いろんな物がカチッとハマった時に動き出す、そんなタイミング

 

選択肢から何かを選び 決断する時の勇気、それが怖くて動けないんだよなぁとビビって 情けなくて また立ち止まる それでも自分のペースで決めるんだろう

 

入院して運ばれた個室で寝たきりの状態で見ていた消灯後の小さい小窓から見えるライトアップされた庭はとても綺麗で あぁまた外の空気を吸いながらぼーっと散歩がしたいなぁ、、と 2年経った今、また風や空気を感じながら歩いてる もしかしたら無理かもって言われてたけど、案外しぶとい

 

今、俺はひっそりと存在しているらしいです

 

「最愛」とても共感する歌詞だったので貼ります


www.youtube.com