一息つきたい心の休憩所

自分自身の心の吐き出し 休憩所のような場所にしたい

書き出す 描き出す 掻き出す事

どうやら心身ともにキャパオーバー気味だったらしい    毎朝のように悪夢と共に身体の痛みを感じ、場合によっては自分がどこに居るのか分からず起きてドキッとする事もある 鉛のように重たい身体とはよくいったもので身体を起こしながら                             

両手両足も動く、、寝返りも出来る、、、        

あ、、そうか 自分の部屋だったよな

毎日こんな事を繰り返すのか、、もうフッと消えてしまえたら 

いや、元より自分という存在が無いものだったら良いのにと思ってしまう

1寸先は闇

2年経ってもまるで時間を行ったり来たりの感覚 

うんざりして、悔しくて情けなくて その疲れ切っている状態からのスタート                      

それでも今やれる事はやる とにかくそれが何かに繋がると信じて そんな事を思いながら数十分かけて頭を起こしていく

少しずつ気持ちも落ち着けながら、この文章も下書きに保存しながら少しずつ書いていて

この文章を書いている時は思考のグチャグチャや身体の状態を抑えるためにもスマホのアプリ等の通知を切りSNSやネットのニュースも最小限にしている最中 この距離感の取り方も初めてだ

気持ちが安定すれば普段通りになっていくと思う

8月1日メンクリの通院日 診察では普段通り話してたつもりだが「疲れてるんじゃないか、何か前回よりも表情も落ち込み気味だ 何かまた抱え込んでないか?」と言われ焦らずやっていこうという事

実際にここ最近の自分の状況や日々の変化は疲れやストレスも蓄積されていたのは事実なのか                                  正直いつもこの加減が分からない                                    

無理と無茶は履き違えてはいけない

自分にも言い聞かせ                                                       

人にも言っているはずなのに これが本当に難しい

例えば起きてから情報 刺激の吸収は始まっている                          度合いは違っていても蓄積され そのキャパも様々                        紛らわし方 散らし方 発散の仕方                                それぞれの方法で生活し 生きていく 

自分の中で気持ちの整理整頓 内面の探索するためにも 文章化 絵を描く事などがそれの1つにも当てはまる

書き出す (文章を手書きで書く)

描き出す (絵を描く)

掻き出す (感情の掻き出し)

こうしてネットを使っての文章化 言語化する事も今後も続けていくだろが、手間や時間はかかっても手書きで手帳などに書く事をとても大切にしている事 (ネットに公開する形式でのツールでは直接的な表現もしにくい場合もあるため)

絵や文字は感情の表れの一つとしても感じ取れるし                            そこには喜怒哀楽がまじまじと出るんじゃないかと                       そして手紙などデータではなく実物として手元にある事の大事さを

温かみなどを感じる                                        

昔友達の人生に大きな出来事が合ってその時に貰った1通の手紙は今でも大切に持っている

その手紙は友達の奥さんから渡された物で

「預かってきました」と言われ とにかく俺に渡してほしいとの事で理由は深く聞かずに受け取った

内容は書けないが「もし返事を渡したい場合は私に渡してくださいと」言われていたので 返事を書いていた時は胸を締め付けられる思いや悔しさ、少しでも手紙を読んで気持ちが和らいでくれたら良いなと思い 涙をこらえながら書いたのも思い出だ

それも今では笑い話の1つとして、あーそんな事もあったよねと言える 無事で良かった

手書きで文章にする時に自分の感情を書き出すには一体どの言葉が合っているのか、それを持っている「ことば選び辞典」シリーズを使って引っ張ってくる

感情の表現も言葉一つで温かくも冷たく感じる             その時俺の感情なんだろう?

漠然と本に目を通しながら読んでいると目に止まる数々の言葉達

それに気づける楽しさや ワクワクにも繋がる アプローチの仕方は多くあるが 根柢の部分には自分自身と向き合うという道筋となっている

絵を描く事 これも子供の頃から身近にあった表現方法なんだろう 色の使い方 線の強弱 集中して白い紙には段々と形になっていく

年々と情報量の多さについていけないのはSNSを頻繁に利用し始めた事も大きかった どんどん便利にもなっていく社会 簡単にも交流できるツール 慣れに慣れてしまって 様々な距離感や大切にしなければいけない事は薄れてはいけない

ネットを通じて素敵な出会いもある事は事実で それを大事にし 使い方 付き合い方をしていけば良い

前に大好きなラジオ番組でパーソナリティーとリスナーのメールのやり取りで共感した部分があったので 少しまとめたいと思う

リスナーからのメールの内容は

Twitterで世の中の不平不満を呟いた時に ユーザーから絡まれ ツイートを引用された 投稿はすぐに削除し相手もブロックした 不用意な事をしたと反省すると同時に自分の心が強かったらと思うと後悔した しかし呟かないと感情が爆発しそうだった 言いたい事も言えない世の中なのか? 何かアドバイスは貰えないでしょうか」という内容

パーソナリティーからは

Twitterは気軽にネットの海の中に一言放り投げれる事 でもそれって実際にやっている事は渋谷のセンター街で、もしくはスクランブル交差点で絶叫してると同じ事で、その道を通ってる人達にはバシバシ聞こえている言葉なんだ Twitterの呟くって「つぶやく」じゃなくて「さえずり」で小鳥のさえずりって滅茶苦茶遠くから聞こえてる、聞こえないくらい小さい呟きでも大声で聞こえている人もいる Twitterはいろんな人達が使っているその中で絡まれる事もある だって 大声で叫んでいるから でも使い方はそれぞれが考えながら使っていけば良いよ」

この部分は繰り返し聴き直していて 自分も日頃思っている部分でもあったので共感してしみじみと聴いていた

きっとこれからもネットの世界とは切っては切れない環境下で生きていくだろうし 上手く活用していきたいとも思っている もし今この文章を読んでいる向こう側にも人が居る事 

書いている言葉達には気持ちを込めている事 きっと言葉の羅列で嘘も簡単に書くことも出来るだろう 今この瞬間に書いている言葉は嘘はなく書き出していく 感情を掻き出していく

その中での一期一会も大切にしてく事は忘れないだろう

とりあえず口癖のごとく こんな俺ですが ぼちぼちといきましょうって事で

ではまた🍀